阪神淡路大震災から20年が経ちました。

当時私はサラリーマンで大阪本社勤務で茨木市の会社の借り上げ社宅でその時を経験しました。後で知った名詞ですが「活断層」の延長上であったため神戸から離れていたものの揺れは強く、食器が割れ、ベランダの45cm水槽は破裂したくらいでした。


その後20年経った今も僅かな揺れにも、まだ敏感に反応してしまいます。


会社としては、そういった危機状況の経験はもちろん初めてで、全ての対応が責任者であるトップの力量に頼ることななりました。

私が師と仰ぐその時のトップは、仕事のこともお客様のことも、そして何より社員のことを思いやり、矢継ぎ早に英断を繰り返しました。


神戸近辺にも数人の社員がいましたが、住むところが無くなった社員にはいち早く会社で移転先を決め、継続して住めても買出しに困っている社員の家には、オートバイを持っている社員を動員して、勤務として水や、食品や、日用品を運ばせました。


もちろん、こういうトップの元では全社員協力しての対応でした。


こういう時のトップの力量の差は特に出てくるものだと、今でも思っています。

残念ですが、私にはその力量はまだまだ足らないと思えます。日々まだまだ人生修行が必要です。