7月2日はうどんの日

昨日7月2日は「うどんの日」だったらしい。

讃岐の農家が半夏至の日にうどんをたべて一休みする習慣から、この日を「うどんの日」にしたなんて素敵ですね。ゴロあわせで記念日をこじつけることが多い中、世間に自慢できる記念日ですね。さすがはうどん県!!


そういえば、私が小学生の頃、四十数年前には、今のように「うどん」「饂飩」と云ってなかったように思い出します。うどん県なんてとんでもない、行列が出来るうどん屋さんも、うどん屋さん巡りもありませんでした。


その頃、うどんを食べるのは殆どが法事で、我が家でも法事になると製麺所から配達されたのか、取りに行っていたのかは忘れましたが、90㎝四方くらいの薄い蒸篭にうどんが一玉ずつ「つかず離れず」(本当はひっついているのですが箸で取ると一玉ずつ離れました)20玉くらいでしょうか?並んでいました。

それを軽くゆでて出汁をかけて食べるかけうどんしかなく、いや「かけうどん」というワードすらなく、それが「うどん」そのものでした。トッピングは法事なのになぜか紅白のカマボコが二切れとネギのみ。当時の丼は今のようなお茶碗が大きくなったような丼ではなく、寸胴で浅い丼でした。今なら煮物や酢の物のおかずを入れるような器でしたね。


法事の時くらいしか食べなかったとはいえ当時はどこも大家族で、とにかく年中法事があったように記憶しています。


牟礼町の従兄弟の家ではおじいさんが前日から仕込んだ打ちたて茹でたての本当の手打うどんをふるまってくれました。小学生ながらにそのうどんがおいしかったことは強く印象が残っています。もちろん素人でおじいさんは牛飼いの名人でした。


お店でうどんを食べるようになったのは、中学に入ってからで、部活の試合でマチ(高松の繁華街)に行った時に金泉のセルフに行ったあたりから記憶しています。


でもやっぱり記憶に深く残っているのは連絡船のうどんですね。