日本の新しい翼MRJが「ミライ」に見えたのは私だけ・・・

自動車、新幹線、イージス艦と、どんなハイテクな乗り物も作れる日本に飛行機産業が殆ど無かったのが不思議ですよね、GHQの政策で凍結された7年間が・・・などと解説を耳にするが、やっぱり当時の政治が弱かったのか下手だったのだと思います。電電公社なんてのがなかったら、今頃、アイフォンはソニーやシャープが作っていたはず・・・。


おそらく、これからの日本の未来は飛行機産業が牽引していくに違いないでしょうね。


私が初めて飛行機に乗ったのは、22歳の時、就職試験の二次審査である重役面接のため東京の親会社へ行った際でした。


当時、高松市内の林町にあった飛行場からYS-11に搭乗しました。


会社からは往復の新幹線代しかもらっていませんでしたが、旅好きの私は、この機会にと自腹を切り、飛行機にチャレンジ。しかも前日入りして、夜のハトバスツアーで駒形どじょうを食べ、浅草で落語も楽しみました。


その甲斐あり無事に重役面接も合格しました。


と、いうのも面接当日、予想以上に速度を上げ進路を変えた台風で新幹線が大幅に遅れていたのに、時間通りに到着したことで、機転の利く社会人として高い評価を頂いたからです。


それから25年間お世話になった会社ですが、本当に出張が多く、飛行機の移動も少なくありませんでした。特に地方間移動が多く、高松からも日本エアコミューターのSAABで小松や福岡、鹿児島へ良く飛んでいました。

 

当時会社の先輩がSAABの自動車に乗っており、スイッチ類や内装はすぐに壊れるがエンジンは一度も故障したことが無いという、その言葉を信じて利用していました。

 

なにせ離陸してから着陸するまで、エンジン音はテレビのボリュームのMAXに近く、いわゆるフルスロットルの状態でした。しかも、ず~と地上が見えている高度で飛んでいるのですから、高所恐怖症の人には絶対に無理ですね。とどめは、ドタキャンがあった際、一人しか乗っていないCAさんがやってきて、「おそれいりますが、キャンセルがでましたのでバランスの都合でお席の変更をお願いします」だって、席を替わり座り直してシートベルトガチガチに締めちゃいますよね。あ~楽しかったな?