貴重な出会いの記録「松平公益会学生寮」OBと遭遇

昨日、玉藻公園で観光ボランティアガイドをしていた際に、小さな出会いがありましたが、貴重なのでここに記録として残しておきます。

 

 

その方は、80歳前後でしょうか、お孫さんを含めた数名で御来園になられており、私が昨日のみ公開されていた「艮櫓(うしとらやぐら)」の前でご案内しておりました際に、ご自身は足腰が弱いので昇らないということで待機されるとのことでした。

 

その間、その方に話しかけられました「私はこの玉藻公園の一角にあった学生寮で3年間過ごしたんですよ」と懐かしそうに語られました。

私は、玉藻公園のボランティアガイドになるきっかけは高松藩松平家12代当主 松平賴壽(よりなが)さんのファンがきっかけで、この伯爵のことを調べてる際に松平公益会も少し研究していたので、その寮の存在を知っていましたし、なにより還暦を少し過ぎた私は高校生の時に場所や運営者は知らなかったのですが、島しょ部や遠方から通う高校生のための寮があったことを知っていました。

 

昨日の正確な情報(その方の記憶ですが(笑))・・・全30室二段ベットで60名が定員であったこと。3食ついて月額5000円であったこと、寮長は陸軍あがりの厳しい人物であったこと。

 

お昼にお弁当を持たせてくれることは知っていたのですが、この方の時は「自分でご飯を詰めておかずをご飯の上に乗せるのだけれど、おかずというのは高野豆腐1枚であった」そうです。それでも5000円はありがたかったそうです。

 

この方が在寮中に阪急ブレーブスに入団した当時高松商業野球部の岡村浩二さんも寮生だったそうです。

 

松平公益会高松学生寮・・・古き良き高松の歴史、いや青春の1ページを飾るにふさわしい施設であったことでしょう。今この建物はありません。おそらく松平公益会館になっている場所ではないかと推測されます。また調べておきます。